「…どうした?行くぞ。ほら、すぐそこがポーンギルドだ。」
不意に声を掛けられて我に返る。振り向くと一番に目に入ったのは、誰かの腰紐から下げられた皮製の巾着袋。一瞬戸惑って、それから上に目線を移すと、はるかに高い位置に男の顔。
「まったく…いくら不都合だって言ってもよ、ポーンなんか気味が悪いぜ。正規の兵がダメだってんなら傭兵でも雇えばいいのに、ケチな旦那だよなあ…」
話しかけているようで、同意を求めている訳ではないのだろう。げんなりした表情でジルを一瞥すると、足早に坂道を下りていく。男の背中を追って歩き出すが、距離は開くばかりで、自然と小走りにならざるを得ない。坂道を下り切り、目的地らしい建物の前まで来る頃には少し息が上がっていた。
領都の職人区画は昼間でも人影はまばらで、一見して閑散とした印象を訪れる者に与える。決して多くはない建物の中から聴こえるトンカンという音だけが忙しない。時折風に乗って堆肥の匂いが鼻を衝くのは、広い敷地の大半を占める麦畑からだろう。畑のすぐ傍に牛舎も並んでいる。よく目を凝らせば、麦の穂に隠れてちらほらと農夫たちの姿が見える。
新しくも古くもなく、豪奢でも質素でもないその建物は、長閑な周囲の風景には似つかわしくない独特な雰囲気を醸し出している。どこがどうという訳でもない。建物自体が、というより、そこに出入りする者達が普通とは少し違う雰囲気を纏っているからかもしれない。
建物の入り口近くにも何人かそれらしい者が立っているが、彼、あるいは彼女らは互いに言葉を交わすこともなく、何かをじっと見つめているようで、何も見ていないのではないかと思わせる。ただ静かにそこに" 在る" といった風だった。
"ポーン" は、戦徒とも呼ばれる。本来 "覚者" に付き従うことが目的だとされるが、戦徒という呼び名の通り、全てのポーンは戦技や魔法に秀でているため、戦時に兵として使役されることもある。平時には今回のような護衛などの一般的な依頼も請け負う。
また別の名を "異界渡り" ともいい、異界の狭間で産まれ、歳をとることは無く、死ぬことも無い。傷つき倒れれば異界の狭間へと還るのみ。姿かたちは人そのもので、言葉も喋るが、意志や感情は無い。または、あったとしてもとても希薄なのだという。
先程男は 「気味が悪い」 と言ったが、ジルの印象は少し違った。
興味本位で、すぐそばにいた長身の女性に近寄ってみる。こちらに気付いてちらりと目線を寄越したが、それきり微動だにしない。石や岩のような無機物、あるいは木や草花のような植物。そういった自然物に接するような安堵感。
声を掛けてみようかと迷っていると、男が傍に来て言った。
「そいつがいいのか?…まあ、カサディスまで送ってもらうだけならどんな奴でも問題無いだろうし…いや、まあポーンなんてみんな大差ないだろうけどな。ちょっと待ってな。今申請してきてやるから。」
と、相手の意志を確認することも無く、さっさと建物に入ってしまう。
あからさまに "物” を扱うような言い方をされながらも、彼女の表情は動かない。ただ、男の言葉から察したのか、ジルに向き直ると、よろしく、というように軽く会釈した。
「ごめんなさい…」
なんとなくそう言わずにはおれず口にすると、彼女の表情が初めて僅かに動いた。言葉の意図が解りかねるといった風に首をかしげる。ジルはまじまじとその顏を見つめる。
首を直角に曲げて殆ど真上を見なければならない程に彼女の背は高い。無造作に後ろで束ねられた色素の薄い茶色の髪が日の光を受けて輝いている。こちらを見つめ返す小さく端正な顔は凛々しくもあり、どこかあどけなくもある。表情に乏しいこと以外は人そのもので、やはり先程の男の態度には納得できない。
程なく男は建物から出てきた。
「さて、カサディスまでだ。石切り場を通って南部に抜ける。遠回りだが、月噛峠はハーピーの巣だって話だからな。うちの旦那は金払いが悪くてな。護衛一人分の金しかねえ。少しでも安全な道を行きたい。ガキを連れての旅だ。3日くらいは掛かるだろうな…っと、帰りの護衛も頼むぜ。」
どうにも一方的な説明に腹が立って口を尖らせながら、ジルは先に立って歩き出した男の背中に声をかけた。
「自己紹介くらいすればいいのに。」
男は立ち止まると、いかにも面倒そうな顏をした。
「…おれはベルモットだ。こいつはジル・ロッソ…おっと、姓は伏せといた方がいいんだったか…まあいいか、とにかくこいつをカサディスまで送り届けるのがおれの仕事だ。そんであんたはおれが無事に仕事を終えるよう護衛するんだ…ああ、そういやあんた、飯は食うのか?こっちの用意は二人分しかないが。」
「了解しました。ベルモット様、ジル様。食事に関しては問題ありません。携行食を持っています。」
初めて聞いた彼女の声は涼やかで、よく通る高音だった。ジルはどきりとする。意外だったからだ。聞かされた話や先程までの印象から、ポーンとはもっとぎこちない喋り方をするものだと思っていた。彼女の言葉は堅苦しくはあるが、それでもまだ幼いジルよりもずっと流暢だ。
「ならいい。行くぞ。」
それで会話が終わってしまいそうになり、ジルは慌てて彼女に問いかけた。
「あの、あなたの名前はなんていうの?」
「私は----------」
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
…おかしいな、彼女の名前…思い出せない。すごく大切なことのような気がするのに…なんでかな…
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
不意に声を掛けられて我に返る。振り向くと一番に目に入ったのは、誰かの腰紐から下げられた皮製の巾着袋。一瞬戸惑って、それから上に目線を移すと、はるかに高い位置に男の顔。
「まったく…いくら不都合だって言ってもよ、ポーンなんか気味が悪いぜ。正規の兵がダメだってんなら傭兵でも雇えばいいのに、ケチな旦那だよなあ…」
話しかけているようで、同意を求めている訳ではないのだろう。げんなりした表情でジルを一瞥すると、足早に坂道を下りていく。男の背中を追って歩き出すが、距離は開くばかりで、自然と小走りにならざるを得ない。坂道を下り切り、目的地らしい建物の前まで来る頃には少し息が上がっていた。
領都の職人区画は昼間でも人影はまばらで、一見して閑散とした印象を訪れる者に与える。決して多くはない建物の中から聴こえるトンカンという音だけが忙しない。時折風に乗って堆肥の匂いが鼻を衝くのは、広い敷地の大半を占める麦畑からだろう。畑のすぐ傍に牛舎も並んでいる。よく目を凝らせば、麦の穂に隠れてちらほらと農夫たちの姿が見える。
新しくも古くもなく、豪奢でも質素でもないその建物は、長閑な周囲の風景には似つかわしくない独特な雰囲気を醸し出している。どこがどうという訳でもない。建物自体が、というより、そこに出入りする者達が普通とは少し違う雰囲気を纏っているからかもしれない。
建物の入り口近くにも何人かそれらしい者が立っているが、彼、あるいは彼女らは互いに言葉を交わすこともなく、何かをじっと見つめているようで、何も見ていないのではないかと思わせる。ただ静かにそこに" 在る" といった風だった。
"ポーン" は、戦徒とも呼ばれる。本来 "覚者" に付き従うことが目的だとされるが、戦徒という呼び名の通り、全てのポーンは戦技や魔法に秀でているため、戦時に兵として使役されることもある。平時には今回のような護衛などの一般的な依頼も請け負う。
また別の名を "異界渡り" ともいい、異界の狭間で産まれ、歳をとることは無く、死ぬことも無い。傷つき倒れれば異界の狭間へと還るのみ。姿かたちは人そのもので、言葉も喋るが、意志や感情は無い。または、あったとしてもとても希薄なのだという。
先程男は 「気味が悪い」 と言ったが、ジルの印象は少し違った。
興味本位で、すぐそばにいた長身の女性に近寄ってみる。こちらに気付いてちらりと目線を寄越したが、それきり微動だにしない。石や岩のような無機物、あるいは木や草花のような植物。そういった自然物に接するような安堵感。
声を掛けてみようかと迷っていると、男が傍に来て言った。
「そいつがいいのか?…まあ、カサディスまで送ってもらうだけならどんな奴でも問題無いだろうし…いや、まあポーンなんてみんな大差ないだろうけどな。ちょっと待ってな。今申請してきてやるから。」
と、相手の意志を確認することも無く、さっさと建物に入ってしまう。
あからさまに "物” を扱うような言い方をされながらも、彼女の表情は動かない。ただ、男の言葉から察したのか、ジルに向き直ると、よろしく、というように軽く会釈した。
「ごめんなさい…」
なんとなくそう言わずにはおれず口にすると、彼女の表情が初めて僅かに動いた。言葉の意図が解りかねるといった風に首をかしげる。ジルはまじまじとその顏を見つめる。
首を直角に曲げて殆ど真上を見なければならない程に彼女の背は高い。無造作に後ろで束ねられた色素の薄い茶色の髪が日の光を受けて輝いている。こちらを見つめ返す小さく端正な顔は凛々しくもあり、どこかあどけなくもある。表情に乏しいこと以外は人そのもので、やはり先程の男の態度には納得できない。
程なく男は建物から出てきた。
「さて、カサディスまでだ。石切り場を通って南部に抜ける。遠回りだが、月噛峠はハーピーの巣だって話だからな。うちの旦那は金払いが悪くてな。護衛一人分の金しかねえ。少しでも安全な道を行きたい。ガキを連れての旅だ。3日くらいは掛かるだろうな…っと、帰りの護衛も頼むぜ。」
どうにも一方的な説明に腹が立って口を尖らせながら、ジルは先に立って歩き出した男の背中に声をかけた。
「自己紹介くらいすればいいのに。」
男は立ち止まると、いかにも面倒そうな顏をした。
「…おれはベルモットだ。こいつはジル・ロッソ…おっと、姓は伏せといた方がいいんだったか…まあいいか、とにかくこいつをカサディスまで送り届けるのがおれの仕事だ。そんであんたはおれが無事に仕事を終えるよう護衛するんだ…ああ、そういやあんた、飯は食うのか?こっちの用意は二人分しかないが。」
「了解しました。ベルモット様、ジル様。食事に関しては問題ありません。携行食を持っています。」
初めて聞いた彼女の声は涼やかで、よく通る高音だった。ジルはどきりとする。意外だったからだ。聞かされた話や先程までの印象から、ポーンとはもっとぎこちない喋り方をするものだと思っていた。彼女の言葉は堅苦しくはあるが、それでもまだ幼いジルよりもずっと流暢だ。
「ならいい。行くぞ。」
それで会話が終わってしまいそうになり、ジルは慌てて彼女に問いかけた。
「あの、あなたの名前はなんていうの?」
「私は----------」
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…おかしいな、彼女の名前…思い出せない。すごく大切なことのような気がするのに…なんでかな…
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