日の光の眩しさに目をしばたたかせながらも、山々の稜線を辿っていくと、ひときわ高い尖った頂に目が留まる。
 グランシス半島の何処にいてもあの頂は見えるのだという。誰に教わったのだったか、その名を "穢れ山" というのだと。
 穢れ山は遠く、蒼みがかった稜線は空の一部であるかのように霞む。不吉な呼び名をよそに、その姿は美しく、見る者を惹きつける。

 「…おい、ぼーっとするな。」
ハッとして振り返ると、先を歩いていたベルモットが立ち止まってイライラとこちらを睨め付けていた。
 「ただでさえお前さんの足に合わせなきゃいかんのだ。いちいち立ち止まっていられちゃあ、道端で野宿することになっちまう。物珍しいのはわかるがな…おいあんた、手でも繋いで、しっかりと付いてこさせてくれよ。」
隣に立ってじっとジルを見ていた彼女が無言で手を差し伸べてくる。ベルモットの物言いには腹が立ったが、彼はジルの分の荷物も背負ってくれている。そう思うとふくれっ面をする気にもなれず、素直に従うことにした。
 おずおずと手を伸ばすと、ぎゅっと掴んでくれる。彼女の手はひんやりと冷たい。それがポーンだからなのか、ただ単に体質によるものなのか、ジルにはわからなかった。

 正午を過ぎた頃に領都の正門を出て、日暮れまでには石切り場に着きたいと、ベルモットは言っていた。
 採石の為に掘られた洞窟だが、半島南部に抜ける連絡路の役割も兼ねており、内部には作業員達の休憩所がある。行商人等も利用するため、足りない物資を補給できる道具屋もあるという話だった。
 ジルが心なしかワクワクしているのは、そこで一泊すると聞いたからだ。
 (洞窟の中で寝泊まりするなんて、父さんが寝る前に読み聞かせてくれた "おはなし" みたいだ!)
 それを思い出して少しだけ悲しい気持ちになりはしたが、それでもジルの足取りは自然と軽くなる。

 正門を出た途端に潮の香が鼻に抜ける。領都は驚くほど海に近い。というより、城壁の周囲半分は完全に海に面している。
 このまま海岸線に沿って街道を南へ向かえばカサディスに辿り着くはずだが、その途中にある月噛峠が "ハーピーの巣" なのだとは先程ベルモットの話にも出たところだ。
 ハーピーとは、人妖である。人と鳥の姿を半分ずつ併せ持ち、空を飛び、美しい女性の声で歌う。その歌声の魔力によって獲物を忽ちに眠らせ、肉を喰らうのだという。実際に見たことは一度も無いが、寝物語に聞きかじったいくつかの "おはなし"の、それにまつわる顛末はどれも背筋がぞわりとするようなものばかりだ。
 月噛峠を迂回するため、二股に分かれた街道を西へ。城壁に沿った街道から見渡せる原野には、古い時代の遺構がところどころにちらばっているほか、何軒か人が暮らしているらしい家屋も見て取れる。
 
 石切り場までの道程は順調そのものだった。清々しい晴天に時折吹き渡る風が、厚く着重ねた旅装には心地良い。
 「…しかしお前さんもおふくろさんも、考えてみれば不憫だよなあ。こんな小さいうちに親父さんは死んじまって、しかも仕方がないとはいえたった一人家を追い出されるなんてよう。まあ、うちの旦那からすりゃあ色々考えたうえでの配慮ってやつなのかもしれないが、言っちまえば厄介払いみたいなもんだ。おかげでおれまであんな辺境の田舎村に足を運ぶ羽目になるしよう…まったく、切ねえ、切ねえ。」
ベルモットは退屈なのか、気を利かせているつもりなのか、一人喋り続けている。ジルと手を繋いだ彼女はそれを聞いているのか聞いていないのか、表情を変えることも無くただ黙々と歩く。
 ジルは、歩調を緩ませないよう気を付けながら、周囲の景色に目を配る。物心つくよりも前に移住してきて、一度も領都を出たことが無いジルにとっては、目に映るものすべてが珍しく、新鮮だった。
 「この辺りはまだ領都の近郊だが、おいはぎやら盗賊の類の噂はたまに聞く。あんた、大丈夫だろうな?」
ベルモットは彼女に視線を送った。それを聞いて、ジルも少し不安げに彼女に目を向ける。すると、ジルと繋いだ手はそのままに、もう一方の手を胸に当てると、心配はないと言うように頷いて見せる。
 彼女の武装は、弓と、二振りの短剣。あまり上等な装飾のない簡素な造りのものだが、よく手入れされているのだろう、その刃は美しく、鈍い光を放っている。
 「弓が得意なの?」
思い切って尋ねてみる。
 「…いえ、どちらかといえば不得手です。」
その返答に、ベルモットが一瞬青くなり、目を剥いて食って掛かる。
 「お…おいおい!勘弁してくれよ!」
 「護衛ということでしたので。剣よりは、こちらの方がいくらかは。」
ベルモットは目を白黒させていたが、ジルは、実は先程から彼女に何か声を掛けたくてうずうずしていたのだ。会話のきっかけができたことが単純に嬉しかった。
 「ねえ!魔法は?魔法も使えるの?」
 「杖があれば。そちらの方が得手です。」
 ジルの顔がパッと明るくなる。
 「見たかったなあ!ね、ベルモットさん!」
 「ああ、本当にな!あんた、なんで杖を持ってこなかったんだ!」
皮肉たっぷりにベルモットが詰め寄ったが、やはり彼女の表情は変わらず、返答はにべもない。
 「護衛には不向きと判断しました。」
彼女とベルモットのやり取りの対比が可笑しくて、ジルはひとしきり笑った。ベルモットはそれをあきれた様子で眺めた後、大仰に宙を仰ぐ。
 「ああ、神よ、お護りください…」

 いつの間にか、空は茜色に染まり、所々に星が見え始めていた。
 「はあ…今からでも戻ってポーンを取っ換えたいとこだが…」
ため息まじりの呟きを聞き咎めて、ジルは彼女の太ももにしがみつくと、嫌だとベルモットを睨んだ。すっかり彼女の事が気に入ってしまっていた。
 「…しねえよ。もう日が暮れるし、石切り場もすぐそこだ。振出しに戻るのは御免だとも。」
 前方には枯れ木ばかりが乱雑に連なる不気味な森。 "立ち枯れの森" というのだと、ベルモットが教えてくれた。元来た道を振り返れば、大分離れはしたものの、まだはっきりと領都が見える。火が灯され始める頃合いか、城壁にぽつぽつと空いた明かり取りの窓や狭間から、微かながら光が漏れ出ている。
 街道は森へと続いていたが、そちらには入り込まず、脇道に逸れる。作業員の家なのだろうか、数軒の民家を素通りして進むとすぐに、切り出した大きな石が積み上げられた広場に出た。
 辺りは薄暗くなってきているが、鉱員達はまだ忙し気に立ち働いており、坑道の内部からは石を削るつるはしの音が響いてきている。

 カンカンというつるはしの音に交じって、隣に立つ彼女のお腹が控えめに 「グウ」 と鳴ったのを、ジルは聴き逃さなかった。
 
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