静かだった。
いつもなら煩いくらいの海鳥たちの姿はなく、鳴き声も聴こえない。波音もどこか遠慮がちなのは、ジルの気のせいだろうか。焼き払われた木材の爆ぜる音、巨体から規則的に漏れ出る岩を転がすような唸り声…聴き慣れない音ばかりが大きく、不気味に静寂を包み込んでいた。
ドラゴンは、悠々とこちらを見下ろしているが、ジルを見据えるその眼には選択を迫るかのような圧力を伴っている。容易に目をそらすことなどできず固まっていると、すぐ傍から声が聴こえた。
「ジル…アリタが起きた。」
そちらを振り向くことはせず、耳だけで聞く。
「うん…」
「…どうなってる?」
「こっちを、見てる。」
エルバーが緊張を漲らせたのが、目で見なくても伝わってくる。アリタが必死に声を殺していることも。
ドラゴンの目的は解らない。その瞳から意図を読み解くことなど不可能だ。ただ…
(私が囮になれば、ひょっとしたら…二人を逃がすことはできるかもしれない…)
普通に考えれば、囮になったところですぐに炎に焼かれるか、その大きな手(前足というのか?)で押し潰されるか、薙ぎ払われるか…何にせよ一瞬だろう。時間稼ぎなどできるとは思えない。しかし、ドラゴンの真意がただの破壊ではないとするなら。
…これはジルの堪にすぎない。何の保証もない。
(…確実に助かる方法は?)
ジルの迷いを感じ取ってか、ドラゴンは四つ這いのまま翼を目いっぱい広げ、首を低く落として睨み付け 『どうした。今にも襲い掛かるぞ』 と、獰猛な獣の様相を見せつける。
「…!!」
2人に向き直り、思慮を巡らす暇も無く咄嗟に出た言葉は、言い放った本人からしても浅慮としか言いようのないものだった。
「エルバー!アリタを連れて逃げるんだ…!ドラゴンは私が引き付けるから…!」
不安げだったエルバーの表情がみるみる変わる。
「…何をバカな事を!それなら俺の役目だ!ジル、お前がアリタを連れていけ!」
「そんなのダメだよ!カッコつけてる場合じゃないでしょう!?」
「そんなんじゃない!!」
迂闊だった、と思う。こんな言い争いをしている時間などないはずなのに。
「…とうちゃん…ちる……こわいよ…」
か細い声だった。見ると、今にも泣きだしそうな顔で、それでも必死にこらえているアリタがいた。"ジル" と発音できない、こんな小さな子だ。エルバーも "とうちゃん" と呼ばれて冷静になったようだった。
「…エルバー、とうちゃんが、いなくなったらダメだよ…」
「……しかし…」
その時だった。ドラゴンが、地響きと共に向きを変えた。その視線の先には。
「…コルテス!?」
少し離れた岩陰から飛び出したのは、まぎれもなくコルテスだった。こちらからは死角になっていて見えなかったが、おそらくコルテスはずっと様子を伺っていたのだろう。ジル達とは逆方向に走りながら、振り向いて 「行け!」 と言ったような気がした。無事だった、と喜ぶ間もなく、炎を纏って崩れ落ちる彼の姿がジルの目に焼き付いた。
その後、どう動いたのかジルはよく覚えていない。炎が身体をかすめ、肌が焦げ付く感触。剣を突き立てようとするが岩のように硬い鱗に阻まれて適わない徒労感。大きな壁の様なその手で薙ぎ払われ、身体が壊れる嫌な音。吹き飛ばされて、地面に叩きつけられる頃にはもはや痛みすら感じなかった。ドラゴンが何事か言葉を発していたようだが、ジルの耳は殆ど何も聞こえてはいなかった。ジルの身長よりも大きなドラゴンの指が間近に迫り、胸を抉る。身体の感覚はまるで無いのに、血が溢れ出るのがわかる。ドラゴンの指先には、それまでジルの中にあったはずの "心臓" 。それを大きな口に放り込み、悠然と飛び去ってゆく。動かすことのできないからっぽの身体。瞬きさえ封じられたジルの目に映るのは一面澄んだ青空。死んだのだと、理解して数秒後、意識は空の青に溶け出していった。
いつもなら煩いくらいの海鳥たちの姿はなく、鳴き声も聴こえない。波音もどこか遠慮がちなのは、ジルの気のせいだろうか。焼き払われた木材の爆ぜる音、巨体から規則的に漏れ出る岩を転がすような唸り声…聴き慣れない音ばかりが大きく、不気味に静寂を包み込んでいた。
ドラゴンは、悠々とこちらを見下ろしているが、ジルを見据えるその眼には選択を迫るかのような圧力を伴っている。容易に目をそらすことなどできず固まっていると、すぐ傍から声が聴こえた。
「ジル…アリタが起きた。」
そちらを振り向くことはせず、耳だけで聞く。
「うん…」
「…どうなってる?」
「こっちを、見てる。」
エルバーが緊張を漲らせたのが、目で見なくても伝わってくる。アリタが必死に声を殺していることも。
ドラゴンの目的は解らない。その瞳から意図を読み解くことなど不可能だ。ただ…
(私が囮になれば、ひょっとしたら…二人を逃がすことはできるかもしれない…)
普通に考えれば、囮になったところですぐに炎に焼かれるか、その大きな手(前足というのか?)で押し潰されるか、薙ぎ払われるか…何にせよ一瞬だろう。時間稼ぎなどできるとは思えない。しかし、ドラゴンの真意がただの破壊ではないとするなら。
…これはジルの堪にすぎない。何の保証もない。
(…確実に助かる方法は?)
ジルの迷いを感じ取ってか、ドラゴンは四つ這いのまま翼を目いっぱい広げ、首を低く落として睨み付け 『どうした。今にも襲い掛かるぞ』 と、獰猛な獣の様相を見せつける。
「…!!」
2人に向き直り、思慮を巡らす暇も無く咄嗟に出た言葉は、言い放った本人からしても浅慮としか言いようのないものだった。
「エルバー!アリタを連れて逃げるんだ…!ドラゴンは私が引き付けるから…!」
不安げだったエルバーの表情がみるみる変わる。
「…何をバカな事を!それなら俺の役目だ!ジル、お前がアリタを連れていけ!」
「そんなのダメだよ!カッコつけてる場合じゃないでしょう!?」
「そんなんじゃない!!」
迂闊だった、と思う。こんな言い争いをしている時間などないはずなのに。
「…とうちゃん…ちる……こわいよ…」
か細い声だった。見ると、今にも泣きだしそうな顔で、それでも必死にこらえているアリタがいた。"ジル" と発音できない、こんな小さな子だ。エルバーも "とうちゃん" と呼ばれて冷静になったようだった。
「…エルバー、とうちゃんが、いなくなったらダメだよ…」
「……しかし…」
その時だった。ドラゴンが、地響きと共に向きを変えた。その視線の先には。
「…コルテス!?」
少し離れた岩陰から飛び出したのは、まぎれもなくコルテスだった。こちらからは死角になっていて見えなかったが、おそらくコルテスはずっと様子を伺っていたのだろう。ジル達とは逆方向に走りながら、振り向いて 「行け!」 と言ったような気がした。無事だった、と喜ぶ間もなく、炎を纏って崩れ落ちる彼の姿がジルの目に焼き付いた。
その後、どう動いたのかジルはよく覚えていない。炎が身体をかすめ、肌が焦げ付く感触。剣を突き立てようとするが岩のように硬い鱗に阻まれて適わない徒労感。大きな壁の様なその手で薙ぎ払われ、身体が壊れる嫌な音。吹き飛ばされて、地面に叩きつけられる頃にはもはや痛みすら感じなかった。ドラゴンが何事か言葉を発していたようだが、ジルの耳は殆ど何も聞こえてはいなかった。ジルの身長よりも大きなドラゴンの指が間近に迫り、胸を抉る。身体の感覚はまるで無いのに、血が溢れ出るのがわかる。ドラゴンの指先には、それまでジルの中にあったはずの "心臓" 。それを大きな口に放り込み、悠然と飛び去ってゆく。動かすことのできないからっぽの身体。瞬きさえ封じられたジルの目に映るのは一面澄んだ青空。死んだのだと、理解して数秒後、意識は空の青に溶け出していった。
スポンサードリンク
COMMENT FORM