燃え残った薪の焦げた匂いがかすかに漂い、辺りからはぼそぼそと遠慮がちな話声が聴こえている。ランタンの落ち着いた明かりだけが照らす洞内にも目が慣れ、広場の対角でもぞもぞと毛布を動かす商人の姿さえ見ることができるが、それでも見通せない黒ずんだ闇がそこかしこに在る。
 闇を暴こうと目を凝らすほどにジルの頭は冴えてしまい、それでも眠ろうと硬く目をつぶれば、一層深い闇の中から無数の視線を感じるような気がして-----
 「眠らないのですか?」
声の主は、横になることもせず先程からと同じ姿勢で座っていた。その物言いに少しばかりズレを感じて、ジルは答える。
 「…ちがうよ。眠れないんだ。」
彼女は、どことなく怪訝そうに首をかしげる。
 「人は眠らなければ体力を損なうと聞きました。」
 「ポーンは、違うの??」
 「眠ることはできますが、必要な事ではありません。」

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 頭では解っていたつもりだったけど、私はやっぱり心の何処かで "ポーンも人だ" って思っていたんだ。このときまではね…でも、違った。彼女の話を聞いて、そうじゃないんだって解ったんだ。
 私は彼女の事が知りたかった。ポーンって何なのか…でも-------。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 「ねえ、何かお話ししてよ。そうしたら、眠れるかも。」
彼女は思案するように押し黙ると、しばらくして答えた。
 「申し訳ありませんが、私に語るべき話はありません。」
 「何でもいいよ。昔のこととか…そうだ!生まれはどこ?ポーンはどんな風に育つの?」
そう問われると、表情こそ変えなかったが、少しだけ言葉を探すような素振りをする。
 「私に過去はありません。ポーンには生まれるという概念がありません。人の様に成長することもないのです。気付いたら、この姿で、この世界にいたのです。」
 そのとき、驚いた声で、いつの間にか話を聞いていたらしいベルモットが割って入る。
 「おいおい、そりゃあ、記憶喪失みたいなもんじゃないのかい??」
 「喪失...それは、見ようによってはそう表現してもおかしくはないかもしれませんね。」
ベルモットは、無表情な彼女の顔を怪訝そうに見やる。
 「あんた、平然としてるが、不自然に思わなかったのかい?気付いたら記憶がなかった訳だろ、当然のような口振りだがよ。」
 「私は記憶を喪失している事を知っていましたし、自身がポーンである事も知っていましたから...」
 悲しくは、なかったの?と、問おうとして、ジルは言葉を飲み込む。ポーンには感情がないのだと、誰かがそう言っていた。それでも...
 「それに」と、彼女は続けた。
 「何故記憶がないのかも、私は知っています。」
 「それは...ポーンだから...?」
 「そうとも言えますが...正確には、主を持たないポーンだから、です。」
 「覚者、か...」
ベルモットが独りごちるように呟き、彼女は頷く。
 「ポーンは、傷つき倒れればこの世界から消失(ロスト)し、リムへと還ります。そして主を持たぬままロストしたポーンは、リムを通じてまた、どこかの世界へ新たに形をとる..」
  "リム" とは、覚者がポーンを召喚するために用いるとされる石碑の事だ。領都にも設置されているため、ジルも目にしたことがある。といっても、誰が何時、とは思えない。おそらくそこが領都となるずっと以前から在ったのだろうが。
 「その際に、覚者の存在がポーンの記憶を繋ぎ止めるのだと。」
 「ふーん...しかし、覚者ってのはドラゴンが選ぶものだろう。つまり、ドラゴンが現れなけりゃ覚者も現れねえ。あんたにゃあ悪いが、俺は御免被るね。平和なのが一番さ。」
彼女は、さして気にした風もなく「いえ」と、短く答える。
 「それより、まるで世界がいくつもあるような口振りだったが...」
 ベルモットの興味は移ったようだ。ジルも、それに関しては気になったが、横になって話を聞いているうちに瞼が重くなってきている。
 目を閉じて、耳だけで声を拾っていられたのはほんの束の間。この夜の記憶はそこで途切れた-----

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 ...感情も、忘れているのかもしれないね...だって、そうでしょう?感情だって記憶だもの。嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと、全部忘れて一からやり直し。その繰り返し...

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