翌朝。目を覚ますと、隣ではキナが静かに寝息をたてていた。
 室内は薄暗いが、外はもう空が白んでいる頃合いだ。朝食の用意をしなければならない。キナを起こしてしまわないように気を付けながら寝台を抜け出すと、給仕場へ向かう。
 桶の水で顔を洗い、歯を磨いていると、アダロも起き出してきたようだ。昨夜のことは、まだ何も話してはいない。
 「おはよう、ジル。」
いつもと変わらぬ挨拶。ジルも、ブラシを口にくわえたまま、おはよう、と返す。
 アダロは妻帯していない。ジルもキナも、孤児として引き取られた。独り身の寂しさ故なのか、村長という立場上なのか、それはわからないし、態々聞き出そうとも思わないが、少なくともジルにとって良き父親として長年接してくれた。きっとこれからもそうなのだろう。
 事が決まれば、コルテスと二人で報告しなければならない。
 竈に火を入れる後ろ姿を眺めながら、寂しいような、悲しいような、複雑な気分になる。

 朝食を終え、外に出る。カサディスは浜辺に沿って弓形。石造りの家々がこじんまりと連なる。アダロの家は丁度弓の先端部分に位置し、村の最北の坂上にある。対となる最南端の丘には教会。
 カサディスでの暮らしはのんびりとしたものだったが、村人それぞれに役割はある。男たちは毎日漁に出るし、女たちは魚を干物にしたり、薬草を採ったり、夫のある者は家事もこなさなければならない。店を開いている者もいる。
 ジルの仕事は、イオーラの店を手伝うことだった。イオーラは気難しい老婆だが、ジルの事は気に入ってくれている様子だった。ジルは器用で何でも卒なくこなすことができたし、物怖じしない性格で行商人とも上手く渡り合えたので、仕入れも任されている。偶にしか訪れない商人から保存食や調味料、それに布等を買い入れ、衣服や日用品に加工して売っている。特にイオーラの仕立てる下着は評判が良く、村人だけでなく行商人から大量に受注することもあるほどだった。
 「コルテスに会うのは、夕方でいいかな。」
 店に向かうため、坂道を下る。男たちは既に漁に出ているだろう。
 (メリンとエルバーは知ってるのかな?)立ち止まって視線を移せば、眼下に広がる海。三人はいつも一緒に漁に出るのだ。そんな話をしていても何の不思議もない。
 「昔は私も一緒に漁に出てたんだけどなあ…」
なんとなく口を尖らせる。やはり体を動かす方が向いている。そう思うけれど、如何せん女性なのだ。それにジルはあまり大きくないし、線も細い。成長するにつれて、足手纏いになっているのを感じたし、それで気を使われるのも心苦しかった。
 フゥ…と、一つ息を吐くと、点々と散らばった数隻の小舟を横目に眺め歩き出す。不満があるわけではない。ただ単純に、羨ましかった。

 坂を下りきると商店の並ぶ通りが見えてくる。その入り口の真向かいに宿屋。宿屋とはいっても、旅人などほとんど訪れないから、領都から派遣された兵士たちの下宿となっている。
 その宿屋の前の広場に、何やらガヤガヤと人だかりができていた。領都からの先触れらしい兵士が、
 「静粛に!静粛に!」
と喚いているのが見える。
 「領王陛下直々の勅令である!邪悪なるドラゴン復活の兆しがあった!これを受け、ドラゴン討伐の軍を参集する運びである!我こそと思う者は、武器を取り……」
徴兵か…と、さして興味も無いながら、一応立ち止まって様子を見る。
 ドラゴンとは、天災の様なもの…と、村の年寄りが語っていたのを思い出す。
 数十年に一度、どこからともなく現れ破壊をもたらす。討ち果たせるのは "覚者" のみ。覚者とは、ドラゴンによって選ばれし者だとも。
 綿々と受け継がれる伝承の様なものだが、邪悪なドラゴンが自分を倒すための覚者を自分で選ぶなんて、おかしな話だな、と子供心に考えたものだった。
 「今こそ、決戦の時である!!」
 (何にせよ、強制でないなら、この村からわざわざ軍に加わりに行くような者など何人もいないだろうな…)
熱を持って文書を読み上げる使者を遠目に見ながら、再び店に急ごうと歩き出した。。。そのとき。
 「ドラゴンが…来た。」
震える声に気付いて振り返ると、顔面を蒼白にしたメリンがすぐ後ろに立っていた。
 「…え?」
喧騒の中、声に気付いたのはジルを含め数人。もう一度。大声で。今度は叫ぶように。

 「逃げろ!!ドラゴンが来た!!!」

その場が水を打ったように静まり返って初めて、浜辺の方角から悲鳴や怒号が幾つも上がっているのが聴こえた。。

 
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