広場には行列ができていた。まだ年若い商人が、大鍋からせっせと椀によそって列に並んだ者達に手渡しているのは、麦粥だ。坑道に寝泊まりする鉱員達を狙っての商売だろうが、旅人や商人風の装いの者も数人混じっている。
 勿論、食糧はベルモットが領都で用意してきたものがあったが、湯気立つ大鍋から漂う香草の芳しい香りは、彼の倹約の意志を打ち砕くに充分なものだった。
 「なんて良い香りをさせやがるんだ、くそっ!まったく上手い商売を考えたもんだぜ…」
 ジルは広場の隅の段差に座らされ、彼女が傍についている。しばらくしてベルモットが二つの椀を持って戻ってきた。それを見てジルは、彼女にも、とせがもうと身を乗り出したが、意外にもベルモットは、何も言わずにジルと彼女の二人に椀を手渡した。
 彼女がふんわりと湯気の立つ椀をじっと見つめてから、
 「…よろしいのですか?」
と問うと、ベルモットは少しばつが悪そうに頭を掻く。
 「…喋るし、腹も減るなら、そう変わらんよな。まあ、多少不愛想にすぎるが…」
言いながら、自分の分を取りに列に戻る。
 心境の変化があったのだろうか。ひょっとすると彼も、ポーンと関わるのは今回が初めてだったのかもしれない。
 麦粥は、腸詰めを細かく刻んだものや、豆、きのこなど数種類の具材と一緒に煮込んであり、香草が散らされている。匙を入れて混ぜ返すと、白い湯気は椀の中でまろぶように勢いを増し、一層激しく香りと熱気をジルの鼻に届けた。一口分掬い、噎せ返るような熱気を孕んだ湯気を、ふーふーと息ををかけて吹き飛ばし冷ますと、そっと口に運ぶ。
 ジルの一連の動作を見ていたベルモットは、意地悪そうな笑みを浮かべる。
 「はは…育ちの良いお嬢さんって感じだな。そんな食い方で本当に美味いのかい?」
むっとして見返すと、したり顔をしたベルモットは大仰な動作で椀を口元に持っていくと、豪快に息を吹きかけて湯気を散らし、カッカッと匙で椀の底を叩きながら粥を口に流し込んだ。
 ジルは目を丸くする。椀に直接口をつけて食べるという発想自体が無かった。下品だと感じないのは、そもそもそんな食べ方を目にする事が初めてだったせいもあるだろうか。只々美味そうである。
 「…熱くないの?」
 「なに、慣れるさ。」
ジルも恐る恐る真似をしてみる。一度に流し込んで火傷をしないよう気を付けつつ、いつもより多めにほおばる。口の中で転がしながら熱さに耐えると、ようやく飲み込む。じんわりとお腹の中が熱く、口の中一杯に広がった香りと味に、自然と笑みが零れる。ベルモットは口の端に麦粒を付けたまま、満足げににっかりと笑う。
 二人のそんな様子を横目に見てから、ようやく彼女も粥を口に運び始める。無感情に、無表情に。しかし二人を真似てにカッカッと椀を叩く音を鳴らしながら-----勢いあまって、豪快に噎せた。

 食事を終えて、先程までは賑わっていた広場が閑散ととしていく様をジルは座って眺めていた。鉱員達は、先程行きしなに見た、扉のついた横穴を寝所にしているらしく、来た道を戻っていった。広場に残ったのは数人の商人と旅人。それぞれ隅に陣取り、切り出して出来た平らな岩に目星をつけて布を敷き、寝支度を始めている様だった。
 ベルモットは、すっかり空になった大鍋を後仕舞している若い商人と何やら話し込んでいたが、程なくしてこちらに戻ってきた。
 「どうやら、南部に抜けるのは俺達だけみたいだな…道連れができないかと期待したんだが。」
言いながら、荷物を解くと薄手の布と毛布を一枚ずつ投げて寄越す。
 「…ポーンって寝るのか?悪いが二人分しか用意が無いんだ。寝るなら嬢ちゃんと一緒に使ってくれ。…俺はもう少し話を聞いてくる。」
そう言い置くと、いそいそと南部方面から来たらしい旅人の元へ向かう。
 ジルは、居住まいを正している彼女の方を見遣る。
 「どうぞ、お使いください。私に気遣いは無用です。」
 予想はしていたものの、少しの期待はあった。広場を賑わせていた談笑の声が段々と途切れ、場の雰囲気も落ち着いてくるにつれ、食事中は忘れることができていた不安がざわざわと胸の内を覆い始めている。先程の老人の話が頭から離れないでいたのだ。
 怖くて眠れないと泣いたり、駄々をこねる程ジルは幼くないが、今は赤々と燃えている篝火が消されて、開けた場所にはいささか寂しいランタンの光だけになってしまえば、隣に人肌を感じずには安心して眠る事などできないだろうと解っていた。
 彼女に一緒に寝てほしいと乞えば、拒否されることはないだろうとは思うものの、気恥ずかしい気持ちもある。
 ジルは胸の内を悟られまいと、わざと 「やれやれ」 という表情を作りながら、彼女のすぐ横に布を敷いて座り、彼女と自分の膝に跨るように毛布を掛けた。
 彼女はちらりとジルを見たが、何も言わなかった。

 やがて戻ってきたベルモットは、少し険しい表情をしていた。行き慣れない土地をたった三人で旅するのが不安なのだろうことは、ジルにも理解できる。ベルモットも、南部の地理にはそこまで詳しくはないようだった。
 「…あまりうまくないな。一筋縄ではいかないかもしれん。」
 「旅人から、どのような話を聞いたのですか?」
彼女が問う。ジルも、子供ながらに真剣に話を聞こうと緊張した面持ちでベルモットを見る。
 「南部には有名な盗賊団の根城があってな。こいつらは、まあ、まともな盗賊団さ。いや、盗賊にまとももクソもあったものじゃないが…少なくとも、女子供連れの旅人を襲って殺したりはしない。見つかれば身ぐるみ剥がされるくらいはあるかもしれんが。俺が心配だったのは、その盗賊団の事だったんだ。だが、どうも話が違うらしい。」
 
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 ベルモットが旅人から聞いてきた話だと、その盗賊団…「鉄頭団」ていうらしいけど、その頭目は話の通じる男でね。こちらから手を出さなければ襲ってくることは無いし、通行料さえ払えば旅人を通してくれるらしいんだ。厄介なのは、その他の、傭兵崩れや職を持たない不良達が盗賊の真似事をしてる事なんだ。こいつらは、見境が無い。
 ただ逆に、南部で最も力の強い鉄頭団に通行料を払ってしまえば、頭目は義理を重んじるから、他の奴らは手出しができなくなる。鉄頭団に出会うのが先か、危険な奴らに見つかるのが先か…

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 「要は、賭けだな。」
そう言うと、ベルモットは彼女を見遣る。
 「もっとも、危ない奴に行き会っても、戦徒のあんたがきっちり働いてくれりゃあ問題無いが。」
いかにも不安げな表情を作ってみせるベルモットに、彼女は心得たというように頷いた。

 丁度話が区切れたところで篝火が消され、あとは広場に点々と散らばる旅人達の自前のランタンと、通路を示す少し頼りない灯りだけが残る。
 薄暗がりの中に、消し炭から立ち上る煙がうっすらと留まっていた。

 
 
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